私淑する文章
師を見るな。師が見ているものを見よ。
内田 樹 (via mirokubosatsu) (via cipher) (via maako) (via dannnao) (via kml) (via gkojax, kutsunomiya)
2009-08-26 (via gkojay) (via udonchan) (via inu) (via hustler4life) (via kaz4g) (via usaginobike) (via tra249) (via motomocomo) (via onehalf) (via shortcutss) (via hiroakis) (via appbank) (via ryu2net)
愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
 小説を書くための時間、これは1日あたり3時間~4時間も割ければ上等です。なぜなら、書いているとき、つまりはパソコンに向かって打鍵しているときというのは基本的にアウトプットの状態であり、真に創造的な時間ではないからです。強いて付け加えるなら、このアウトプットの作業は午前中に行うのが効率的だということくらいでしょうか。創作活動は夜中に行うべきだとする説が強いですが、どうでしょう、大抵のことは面白くなる夜中のテンションでの執筆は、筆が滑りそうなので個人的には怖いです。また、1日の最後に作業を残して置くのも精神的によくありません。それよりも、やるべきことは早めに済ませて、すっきりした気分で1日に臨むほうがよいように思われます。まあ夏休みの宿題みたいなものですね。
 そして、午前中の作業を終え、すっきりした気分で、1日の残り時間を小説のことを考えるための時間に当てれば完璧です。考えることは何をしながらでもできますから、理想的には午前中の作業中も、睡眠時間も、このために当てたいところです。まあ現実問題、人間には生活というものがありますから、そうそう24時間は割けないでしょうけれども、しかし残りの、小説のことを考えない時間は、考えたことを熟成させるための時間であると心得てください。
MORI LOG ACADEMY: 小説家の生態 (via katoyuu)
2007-12-27 (via gkojay) (via jacony) (via junicci) (via nemoi) (via realhinoji) (via shiinaneko)

科学者の透徹した目、独自の発想で文明や情報社会を考察した文化人類学者、比較文明学者の梅棹忠夫さんが3日、老衰のため大阪府内の自宅で亡くなっ た。

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90歳だった。19年間にわたって初代館長を務め、心血を注いだ国立民族学博物館(大阪府吹田市)には6日、悲報を 知った研究者やまな弟子らが駆けつけ、その死を悼んだ。

30年以上のつきあいのあった中牧弘允(ひろちか)教 授(宗教人類学)は「偉ぶらず、誠実で、楽しい語らいを大切にするという美学をお持ちだった」としのんだ。

第6信 人間の自由について

<茂木健一郎から斎藤環への手紙>


■不同意であることを同意する

斎藤環さま。
とても興味深いお手紙を、ありがとうございました。
私たちの祖先は、アフリカで誕生し、それから世界各地に散らばっていったと考えられています。遠くへ、もっと遠くへと赴こうとするのは、どうやら私たち の本能のようです。物理的空間だけでなく、概念の世界のなかにおいても。できるだけ、遠くにいくには、どうすればよいか。斎藤さんの議論を拝読しながら、 なぜかそんなことを考えていました。


議論をするということの意味は、いったいなんでしょう? 斎藤さんは、依然として私の観点の多くに同意できないといわれる。私は、それでもよいのかもし れないと思います。そもそも、多様性を育むことをよしとする現代において、共感とか同意などだけに価値を置く必要はないと考えるからです。
むしろ、お互いの立場がどれほど離れているかを確認する。そうして、とりあえずは、その差異を認めあって、それぞれの人生を生きていく。そのような論争 があっても、よいのではないでしょうか。
多様性を認めあうことは、たとえば、政治的な文脈においては、成熟した民主主義の不可欠な要件であるようにも思われます。
斎藤さんの最後のお返事をいただいたあと、どんなお返事を書こうかと思いをめぐらせながら、私はアメリカ合衆国を旅していました。移動の車内で、乗りあ わせた「トニー」と「ピーター」のふたりが議論を交わしているのに、耳を傾けていました。
トニーはかつて海兵隊に所属していて、沖縄にも何年かいたそうです。政治的な信条はどちらかといえば保守的で、政府があまり人々の生活に介入すべきでは ないという立場をとっている。はっきりとはいわなかったけれども、トニーは、共和党の支持者のようでした。一方のピーターは、古生物学を専門とする研究 者。政治的な信条はどちらかといえばリベラルで、民主党の支持者のようでした。
トニーは、高校を中退して、海兵隊に入りました、当時、母親とうまくいっていなかったのだそうです。トニーはなげいていました。「私が、かつて、その価 値観やシステムを守ろうとした国は、もはや存在しない」と。
トニーは、オバマ大統領の政策が、気にくわないようでした。「小さな政府」を支持するトニーにとっては、医療保険制度改革などにおけるオバマ大統領の政 策は、がまんができなかったのでしょう。「私は、オバマを、私たちの大統領とは認めない」とトニーは言いました。「だから、私は、オバマを、オバマ大統領 とは決して呼ばない。ただ単に、オバマと呼ぶ」トニーは、そのように断言したのです。
それに対して、ピーターが静かに反論しました。「そんなことはない。オバマは、君の大統領でもある。彼は、民主的な選挙によって、多数の人々に選ばれた のだ。私は、ブッシュの政策が気にくわなかった。しかし、ブッシュも、まちがいなく私の大統領だった。それと同じように、オバマも、まちがいなく君の大統 領だよ」
トニーは納得しません。「オバマの問題点は、軍の経験がすくないことだ。だから、軍人の気持ちがわからない……」
トニーの話を聞きながら、ピーターは、首を振ります。ふたりの意見が一致することは、なさそうです。
トニーとピーターが、まったく異なる立場を貫きながらも、なおもお互いに議論を重ねるという姿勢をけっして忘れないこと。その様子は、感動的でさえあり ました。「同意しないということについて、同意する」(agree to disagree)という精神が、トニーとピーターのふたりの対話から、自然ににじみ出ているように感じたのです。
重要なこととして感じたのは、トニーとピーターの政治的信条が、それぞれの人生の履歴や、そのうつろいのなかで経験してきたこと、現在置かれている環境 などから「必然的」に導かれてきたことだということです。それぞれがそのような立場をとるということは、そうでなければならなかったわけではないという意 味においては偶然であり、現在そうなってしまっているという意味においては必然でもある。それぞれの存在の、身体性をともなう重みをありったけ乗せて、固 有の見解が披露されつつある。つまりは、それぞれの人の意見は、この世界における起こりえる経験の多様性を反映しています。
そのような意味において、トニーとピーターの見解は、「相補的」です。アメリカの今後の政治的方向性をめぐる、さまざまな見解。それぞれ視点が異なる見 解が組みあわさることによってバランスのとれた像を描くことができる。

日本人はとても勤勉です。しかし、一方でとても自負心が強すぎないでしょうか。もし家族、隣人が苦しんでいるのであれば、手を差し伸べなくてはいけません。彼らと苦しみを分かち合わなくてはいけません。私たちは同じ人間であり、なんでも一人で解決しなくてもいいのです(笑い)。


Q 自殺の増加は世界の大きな脅威となっていると考えますか。

A 極端な物質主義的思考は、とても危険です。それは道徳的な倫理観を大切にしません。道徳的倫理観は常に内なる平和と関係があります。汚職や盗みによって得たお金も、あるいは賢明に働いて得たお金も、お金そのものに違いはありません。盗んだお金でもモノを買うことができるし、お金に違いありません。だが、そこには道徳的倫理観の支えはありません。

もし、頑張っても自信を持てないならば、周囲に頼っても決して問題ではありません。ブッダは自ら托鉢(たくはつ)しました。恥をかきながら生きるか、恥を許せず自殺しようと迷うなら、恥を選んだほうがいい。もし何かを失敗し、そして恥を感じたならば、不幸にも物ごいになっても、それは恥でも何でもない。私たちチベット人は(亡命し)インドに来た時、食べ物を求める物ごいだったのです。だから、失敗しても、自ら命を絶つ理由などないのです。

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